ASCA創立メンバー対談
ASCAを支えてきた
プロフェッショナルは、
新しいもの好き

田村房子×渡辺典子×石岡映子

阪神大震災が創業のきっかけ

石岡:1995年1月17日早朝の「阪神・淡路大震災」の衝撃はあまりにも強烈でしたが、神戸に住む田村さんのお見舞いに行って、会社を作るきっかけになりました。
被害の大きさを目の当りにしながら、「私たちに何ができるか」と話が進み、「いつ死ぬかわからない。せっかく助かった命なので、人を救い、社会のためになることに使おう」と。

私には医薬のバックグラウンドはなかったものの、「田村さんの経験と英知があれば、医学界、製薬企業に特化したすごい言語サービスができるかもしれない」、「当時、家庭に眠る優秀な女性たちに仕事をしてもらって、普及が始まったインターネットを使って社会進出してもらえるかも」などなど、話は進みましたよね。それなら会社を作ろう、と。

渡辺典子さん登場

石岡:少しずつ仕事が入り出したころ、田村さんのお父様が急逝。お通夜の席に、喪主である田村さんに、翻訳者から上がってきた翻訳原稿を持って修正の依頼に行ったのをはっきり覚えています。泣く暇も与えなかったわけです。田村さんは一人娘で、お母様の介護、お父様の病院閉院手続きなどで仕事ができなくなり、そこで登場したのが渡辺典子さんです。田村さんと同じく京大の薬学部卒、製薬メーカーで翻訳経験もあり、何より言語センスがずば抜けていたし、「仕事をしたい」という強い意欲が印象的でした。

田村:渡辺さんの翻訳は、見ただけで◎、ほとんど修正しませんでした。何より、余計な言葉がなく、それでいて、読み手を意識し、内容がわかりやすくまとまっていました。

石岡:最初の納品が5インチのフロッピーだったことが衝撃。コンバーターが見つからず、結局事務所の皆でリタイプしました(笑)。

渡辺:翻訳にはあまり苦労しなかったものの、PC操作が未経験で、データを消すこともしばしば。皆様には迷惑をかけました。主人の転勤で東京に行く際、「通信だけはマスターしてください」と厳しく言われましたから。インターネットとかネットという単語がまだ普及していなかった頃のことです。
大阪を離れても、毎日Faxで原稿が送られてきて、毎日仕事をするのが本当に楽しかったです。仕事が切れると、「米櫃にお米が入っていないようだ」と騒いだものです(笑)。

石岡:化学メーカーからのMSDSの翻訳はいつもお見事でした。とにかく早い、それでいて正確。渡辺さんが担当した多くの仕事は必ずリピートが来て、「3か月でも待ちます」と言ってくださるクライアントの方もたくさんいらっしゃいました(笑)。

渡辺:遅くとも一日前には完成させ、一晩寝かせてからじっくり最後の仕上げをするのが私のやり方なので、「間違いがあった」と指摘が入ると驚いたものです。最近の納期は短くてなかなかそうはいきませんが。

専門医学誌の翻訳から学んだこと

石岡:専門性が高いことを売りにしていたからか、医学専門誌の論文翻訳をする機会が一気に増えました。最初に取り組んだのは医学誌「Blood」。これにはくじけそうになりました。その後、腎臓、脳神経、消化器、呼吸器、肺がん、糖尿病、感染、泌尿器、眼科など、ありとあらゆる専門誌の翻訳をレギュラープロジェクトで取り組みましたよね。

田村:専門の医師が読むものなので、いくら翻訳が素晴らしくてもダメなわけです。何よりも、医学の最新情報なので定訳がありません。なので、現役の優秀な医師によるチェックをプロセスに加え、医師が読んで違和感のない日本語にすることに神経を注ぎ、必ずフィードバックをもらって翻訳者たちと一緒に学びました。当時関わってくれていた翻訳者さんには厳しいことを言ったかもしれませんが、よくついてきてくれました。

石岡:プロジェクトの監修の先生から返ってくる最後の赤字のチェック原稿を皆で確認しました。随分怒られもしました。それでも、医薬専門のASCAにつながった大切な仕事ばかりです。

機械翻訳への挑戦

石岡:アメリカの検査会社から送られてくる獣医の病理診断レポートを毎日翻訳し、その日のうちに納品するというプロジェクトが始まりました。医学部の学生だった田村さんの息子さんの知り合いたちにPCを買ってもらって。これは機械翻訳(当時はルールベース)が使えるに違いないと、市販のソフトを買ってチャレンジ。結構使えたので仕事は楽勝に。ところがさすがにクライアントが気づき、貯めたデータを買い取ってもらい、その仕事はあっけなく終了しました。

田村:納期を考えても、機械翻訳を使わないと難しいプロジェクトでしたし、なによりインターネット通信の便利さを享受したプロジェクトでした。

石岡:その後、Merck Manualの翻訳に機械翻訳を使いました。予算を聞くと、とても翻訳者に頼むお金はなく、田村さんの息子さんの若手医師ネットワークによるポストエディットで仕上げよう、とそのまま始めてしまったのです。結果的には大失敗。優秀な臨床医ばかりでしたが、元の機械翻訳をどこまでどう直すかのルール設定が不十分で、ASCA人生における反省の一つです。当時の担当編集者には今でも足を向けられません。

 

Scienceとの出会い

石岡:田村さんにいきなり、「Natureの日本語訳なら私の方が上手だから営業してきて」と言われ、ほぼ突撃営業して、結果的に丁寧に断られたわけです(当然です)。その後に米国科学誌Scienceの翻訳の話が。Scienceと関係のある米国人が大阪で翻訳会社をしていましたが、自分の会社では難しいとの判断で弊社を紹介してくださったのです。私はその価値がよくわかりませんでしたが、田村さんの興奮ぶりは只事ではなかったですよね。

田村:世界のScience、科学者ならいつか論文を載せたいと目標にしているすごいジャーナルですよ。その翻訳をするために今までの人生があったと思ったほど。

石岡:監訳の先生も決まり、社員も採用し、現役の優秀な若手医師や研究者ネットワークで、物理、天文、脳神経、免疫、バイオ、化学など、最強の翻訳チームを結成しました。毎週Faxで送られてくる英語論文原稿を見て領域ごとに翻訳者を分け、上がってきた翻訳文を田村さんがチェックし、監訳の先生に最終確認をとるプロセスを年間51週。プロジェクトが続いた10年間、一度も遅れることなく、間違いを指摘されることもなかった奇跡的なプロジェクトでした。コンテンツを発信しているスポンサー企業のHPのアクセスの多くがScienceだったほど、科学界からの注目も大きかったことに驚きました。新しい概念や単語を日本語にする(または英語のまま)わけで、Scienceの正式なサイトなので、そのまま定訳となり、他の文書でもその翻訳された単語が使われるので、すべての論文に神経を注ぎました。

そのあと1999年くらいからでしょうか、会員サポート、日本でのマーケティングやメディアサポート、そして今では広告ビジネスまで。ASCAの30年はほぼScienceとの歴史です。相手はNPO、利益より手伝わせてもらっていることを誇りに思い、ASCAの看板を支えてくれています。科学の振興を心から願う素晴らしいメンバーたちと仕事ができる喜びは何にも代えられません。

2001年2月、Scienceにヒトゲノム解読の論文が出ることを知り、Scienceに翻訳の許可を取り、理研の先生に監訳をお願いし、翻訳者まで揃えたものの、公開当日の論文は厚さ2センチほどもあり、驚きました。事前に田村さんは専門書を何冊も読んでおられましたが、それでもわからないことばかりと頭を抱えておられたのをよく覚えています。
毎週数章ずつ仕上げ、公開し、すべての翻訳を完成させるのに3月いっぱいかかりました。新聞各紙にも取り上げられ、昔の知り合いからの「見たよ」との連絡に驚いたものでした。

田村:山中伸弥先生のiPS細胞の英日翻訳をしましたが、「reprogramming」という単語をどう訳したものか迷っていたら、先生から「初期化」と修正されて、なるほど!と感動しました。iPS細胞のiを小文字にされたのも当時出始めのiPodにならったのだと知って素晴らしい!と思いました。その後、製薬企業からの依頼で、iPS細胞の試験プロトコルの日英翻訳をさせてもらったこともあります。パーキンソン病の治療なので、「頭にドリルで穴をあける」から始まる内容で、久しぶりに外科の専門書を探したことを忘れられません。海外でも治療を成功させたいというメーカーの願いを叶えたい一心でした。

石岡:重要な論文を翻訳して公開したのは大きな自信につながりましたし、何より、世界最先端の研究成果を知ることの興奮は大きなモチベーションです。

クライアントのニーズに応える

石岡:渡辺さんには大阪に出張してもらい、ある大手製薬メーカーのベンダー選定に同席してもらいましたよね。

渡辺:慣れないヒールの靴で足が痛くて泣きそうになりましたが、大きな会議室に通され、プレゼンが始まるとテンションも上がり、私が翻訳の品質を約束します、みたいな大それた発言をした記憶があります。クライアントと向き合う責任を知った大きな経験でした。

石岡:JTFセミナーで、ある外資製薬メーカーの担当者に、エラーや翻訳の遅れがどれほど新薬開発の足かせになるかということを話してもらったことがありますが、その彼女と一緒に弊社の広報誌の記事として対談してもらいました。

渡辺:翻訳は命がけ、格闘技のようなもの、というような内容でした。グローバルの開発競争を考えると、もともと翻訳のスピードは速い方でしたが、さらなるスピードアップを心掛けるきっかけになった気がします。

石岡:最後は、いつもの渡辺さんの決め言葉、「引かず、足さず」で。

機械翻訳の導入が翻訳の仕方を変えた

石岡:2016年のGoogleショックで本当に衝撃を受けました。医薬翻訳に特化したAI翻訳エンジンを作成する、と決意。試行錯誤の繰り返しでしたが、これには多くの労力を費やす価値があると信じて疑いませんでした。
プロトタイプを作成しトライ&エラーを繰り返し、2019年7月に第1弾ができあがったときは本当に嬉しかったです。

渡辺:私がASCAでCAT Toolを最初に使用したのは2014年頃だったと思いますが、それは非常に使い勝手が悪く、まったく使う気にはなれませんでした。でもこのCAT ToolとAI翻訳エンジンの組み合わせで、格段に翻訳スピードがアップし、これを使わない手はないと思いました。とても有益なものなので、石岡さんに改善要望を伝えたり、社員の方から効率的な使い方を教えてもらったり。ASCAの登録翻訳者さんに向けてセミナーを行ったりもしました。

石岡:とにかく30年、いろんなことがありました。まさに、山あり谷あり。社員はもちろん、クライアント、医師、研究者、翻訳者さんなど、多くのパートナーの皆様に支えられてきました。本当にありがとうございました。これからは生成AIの登場が次のステージへのチャンスです。専門性と特化したAI技術を使い、どんな未来が来るかワクワクしています。これからのASCAにさらにご期待ください。

石岡映子

代表取締役

大学卒業後、コンベンション・通訳・翻訳を手掛ける会社に入社し、様々な業務に従事。1995年にアスカコーポレーションを設立し、医薬翻訳を中心に、企画、編集、ライティングなど多様なサービスを展開している。最近では医薬特化型AI翻訳エンジンも開発。

一般社団法人アジア太平洋機械翻訳協会理事(2024年4月現在)

田村房子薬学博士

元取締役

研究者、製薬会社勤務、病院での薬剤師、薬学部の学生への英語指導、プロ翻訳者の育成などを経て医薬翻訳者に。難解な文書を伝わる文書に仕上げる技には定評がある。「読み手の立場に立った、正確で読みやすい翻訳」をモットーに多様な日英・英日翻訳に従事。

著書:インターネット時代の英語医学論文作成術(中山書店)、ワンランク上のジャーナルにアクセプトされる英語医学論文作成術(中山書店)

渡辺典子

シニア翻訳者

薬学部卒業後、外資系製薬会社で翻訳業務に携わる。翻訳学校で学んだ後、1996年よりアスカコーポレーションにて医薬翻訳を本格的にスタート。品質にこだわり、CATや機械翻訳を活用する翻訳プロセスに積極的に取り組んでいる。翻訳におけるモットーは、「足さず、引かず」。信頼度が高く、リピート率No.1。