講演
AIと翻訳の融合:翻訳者に期待する新たな挑戦と機会

関西大学外国語学部 ×
株式会社アスカコーポレーション

ASCA30周年を迎え、過去から現在へ、
そしてここではASCAの未来を伝えたい。

翻訳者に期待する新たな挑戦と機会

今年第33回JTF翻訳祭が金沢で開催されることが決まり、30周年企画として、社員やパートナーさんたちを連れて金沢に集結。テーマは「ことばを伝える、情報、技術、文化、そして心を伝える」。参加者といっしょに皆で翻訳とASCAの未来を考えた。

その翻訳祭で、関西大学外国語学部教授の阪本章子先生を迎え、ASCAのソリューション統括・執行役員である佐藤直人と一緒にセッションを担当させていただいた。タイトルは「AIと翻訳の融合:翻訳者に期待する新たな挑戦と機会」。AI翻訳の登場により、翻訳を取り巻く技術的環境は大きく変わり、今やAI翻訳を翻訳プロセスに組み込むことは当たり前になった。グローバル市場における翻訳プロセスの変化だけでなく、AI翻訳の導入が翻訳者にどのような影響を与えたのか、どのような変化をもたらしたのか、海外(イギリス)とASCA(日本)で実施した調査結果を基に、翻訳者の声を紹介し、取り組みなどを紹介した。

私たちを出迎えてくれた「金沢駅」:能楽の鼓をイメージする「鼓門」ともてなしの心を表現する「もてなしドーム」が、伝統が息づく金沢と進化してゆく金沢を象徴

翻訳者の仕事満足度(イギリス)と翻訳の将来

CATツールに加え、AI翻訳が全世界で導入され、ポストエディット(PE)で仕事をする機会が増えている。そのような背景をふまえ、阪本先生が英翻訳通訳者協会(ITI)を対象に行った「翻訳者の労働生活の質に関する調査」から「翻訳者の仕事満足度と翻訳の将来」についてお話をいただいた。

まずは調査結果から、イギリスの翻訳者はPEの仕事について
⚫︎ PEは時間がかかる/疲れるがレートが低い
⚫︎ この2~3年、レートが下がり仕事量が減った
⚫︎ 経済的に仕事を続けるのが困難
⚫︎ レートを下げるなら仕事量を増やしてほしい
⚫︎ 翻訳者の仕事がリスペクトされていないと感じる
などと感じているとの報告があり、翻訳会社と翻訳者の期待に差があるのでは?との指摘があった。

今回の調査項目は、
⚫︎ 翻訳者としての労働生活に満足しているか
⚫︎ 今後5年以上、翻訳者の仕事を続けるつもりか
⚫︎ その他、労働生活・属性について
などである。
集計結果から、収入がもっと高くあってもいいと思っている、PEは楽しいと思わない、MTを使うことで収入が増えるとは思えない、というデータ結果が紹介された(図1、図2)。

図1:翻訳の仕事の対価はもっと高くあるべきだ

図2:いつでも喜んでポストエディットの仕事を引き受ける

その一方で、翻訳という仕事は楽しく、5年後も続けたいと考えている、という高い満足度の結果も示された(図3)。

図3:この先最低5年間は翻訳の仕事を続けるつもりだ

これらのデータから見られる翻訳者心理の複雑さを読み解くためにさらに細かいデータが集計され、以下のデータ結果が紹介された(図4、図5)。
※この表では、0.2ポイント以上の数字が項目間の弱い相関性、0.4ポイント以上がやや強い相関性、0.7ポイント以上が強い相関性を示している。

図4:全体的にみて、翻訳者としての労働生活に満足している** p<0.01

図5:この先最低5年間は翻訳の仕事を続けるつもりだ ** p<0.01

「仕事に満足している」、「仕事を続ける」ことは、「全体的ウェルビーイング」、「雇用主との関係」及び「仕事の成功感」と強く相関することが想定されるが、「MTへの態度」及び「PEへの態度」とはほとんど相関していない。
翻訳者が翻訳の仕事を続けたいかどうかは、MTやPEということより、雇用主(翻訳会社)との信頼関係が重要であろう、というこの結果は興味深い。

AI/MTやポストエディットに対する思いや感情が翻訳者の満足度や動向に与える影響については今後のモニタリングや対策が必要だとするものの、仕事の発注者が翻訳者の動向に与える影響は大きいと締めくくられた。

AIと翻訳の融合:翻訳者に期待する新たな挑戦と機会

佐藤の報告では、ASCAのMT、CAT導入による取り組みと、翻訳者さん、チェッカーさんなど業務を請け負ってくださるパートナーさんからのアンケート調査の結果を報告させていただいた。

ASCAは数年前からMT/CATを導入し、昨年には標準化した。当初、パートナーさんたちには戸惑いがあったが、慣れてくることで、納期が短縮し、エラーが大幅に減少した。

この新しい仕事のプロセスに移行させるため、ASCAでは様々な取り組みを行ってきた。
⚫︎ MT+CATツール導入説明会の開催と個別フォロー
⚫︎ 翻訳・チェック作業手順書の整備
⚫︎ Tips集作成(FAQの共有)
⚫︎ 勉強会開催(テーマ例:「MTによる作業効率化」など)
⚫︎ TM/TB整備(ガイドライン等)
⚫︎ パートナーとの個別面談実施

こうしたサポートの成果により、アンケート回答者の85%が「心理的、作業的にプラスになっている」と答え、以下のような利点が挙げられた(図6)。

図6:プラス面を具体的に教えてください

「見落としや誤記防止」や「検索時間の短縮」はCATツールによる恩恵かと思われるが、「作業スピード向上」や「内容理解が早くなった」は明らかにMT効果だと思われる。

さらにスピードを上げるための項目を聞いてみた(図7)。

図7:さらに短縮するには何が必要だと思いますか。(2つ選択)

「用語集・TMの充実」や「MT精度の向上」は翻訳会社が取り組む項目であるし、「作業環境の整備」や「スキルアップ」はパートナーに取り組んでほしい項目である。
さらに効果を上げるためには翻訳会社、翻訳者双方の努力が必要である。

阪本先生とのデータと合わせ、翻訳会社と良好な関係があれば仕事は楽しいし、翻訳会社との信頼関係は、翻訳者の姿勢に影響するのではないか、と考える。

新薬開発における市場の変化

グローバル化や競争激化が進む製薬メーカーにおいて、新薬開発のスピードは加速するばかりである。プロトコル1本の翻訳にかけられる時間は半減し、MT/CATを使用して製薬会社の社内で翻訳することもある。何より条件付きでCTDは英語のまま使用できるようになったため、翻訳そのものが不要になっていく文書が増えていくかもしれない。

今後、個々のスキルや翻訳エンジンの向上が進めば、さらに納期の短縮も進むと予想されるが、そのためにもパートナーさんたちとのコミュニケーションや情報共有、信頼関係構築がますます重要になる。
何といっても高い専門知識をもつパートナーの皆さんが、これからもいっしょに働きたい、と思ってもらえる環境を整備していきたい、と佐藤は締めた。

ASCAとAI、そして未来

Wordファイルに翻訳文を入力していた時代は遠い昔で、ほとんどの文書はCATツールを含めた文書管理システム上で翻訳文書が仕上がるプロセスが標準化した。過去の訳文を使いながら、より早く、より文書の整合性を高めることが可能になったのだ。

CATの確認に余計に時間がかかる、全体が見えにくい、という声も聞いてはいるが、過去訳は参考になるから助かる、という声も。何よりCATツールを導入していなかったときのエラー率は、現在のそれと比較にならない。CATが導入された時点で翻訳者は、訳文を「作る」、から「判断する」という能力も求められるようになった。

その上、今ではプロセスにMT訳が加わったのだから、翻訳者は自分で訳すというより文書の確認に追われるのでストレスも多いという。MTの勝手な訳出を見つけた時には悲しくなるだろうし、想定外のミスは見落としかねない。それでも、AIが素晴らしい訳を出すこともあるのだが。

ASCAが医薬に特化したオリジナル翻訳エンジンの開発に多くの時間とコストをかけてでも成功させたかったのは、やらなければいずれは他社翻訳エンジンを使った仕事を受けざるを得なくなるだろうし、そうなると、料金や納期をコントロールするのが難しくなると判断したからである。社内のエンジンであれば、癖も分かるし、改善が望める。そう思っての投資だ。

MT訳があれば、ゼロから翻訳するより楽だろう、と思ったこともあったが実際にはそうとは限らない。AIによる出力文が明らかに間違っているときは取り組みやすいが、それなりによくできていているのでその間違いに気づけない事態が起こるし、それでもいいか、と流してしまうこともある。MT訳があることで、自分で訳文を作る、というより、訳文を判断する仕事に置き換わった気がする。だからこそ正確に判断するためには、原文を読み解き、訳出する高い翻訳力と経験が必要となる。

「PEだから安くしてほしい」のでなく、納期が短いなら本来「PEは高い」はずである。
ASCAのPEは翻訳を指し、クライアントとの求められる品質の合意内容で納期や費用は変わる。MTを使うことで、これまでの人手翻訳では実現・提案できなかったニーズに幅広く対応できるようになった。大量の英文データを、とりあえず確認用に日本語にしてほしい、または、明日までにとりあえず自分が持つ日本語を海外報告用に英語にしてほしい、それも予算内で、というニーズへの対応が可能だ。

CATツールとMTに加え、これからは生成AI技術が新しい可能性を生む。今後のサービスを展開していく中で、前処理、後処理などにLLMを使えると期待している。スピード、予算、精度など、今までになかったサービスへの新たな挑戦である。

ASCAの未来へのテーマは「リボーン(reborn)」。常識にとらわれず、普通を信じない、これまでの不可能が可能となるような新しいサービスが生まれると信じている。

ASCAとAI、ASCAのリボーンに乞うご期待!

書き手:石岡映子

阪本 章子

関西大学外国語学部教授

日本と英国で社内翻訳者、プロのフリーランス翻訳者としての経験を積んだ後、英レスター大学で翻訳学の博士課程を修了。その後、英ポーツマス大学に勤務、2022年から関西大学外国語学部に着任。現在は、翻訳テクノロジーが翻訳者の労働環境や社会的ステータスに与える影響について研究中。

佐藤 直人

株式会社アスカコーポレーション
ソリューション統括 執行役員
日本翻訳連盟理事

2009年、株式会社アスカコーポレーションに入社。プロジェクトマネージャー(PM)として翻訳の営業およびプロジェクトマネジメントに従事。2017年から約2年間CROにてメディカルライティング(MW)業務のPMとして治験・申請関連、論文作成案件を担当した経験を活かし、現在は、翻訳だけでなく、メディカルライティングサービスの営業や戦略の立案、さらに事業部長として、経営戦略の実践、後進の育成にも携わる。