- 2019.08.22
- コラム
医療現場のつぶやき 「なぜできないのか、それは誰にもわからない」
「なぜできないのか、それは誰にもわからない」
発達障害に限らず、なにかがうまくできない子どもたち(大人たちも)は、周囲からよく「なんでできないの?」「なにがわからないの?」と聞かれます。
周囲の人も決して意地悪で言っているわけじゃなくて、善意で言ってるんだと思うんですよね。
「わからないことがあったら、なんでも聞いてね」って。
ところで皆さん、バック転できますか?
何でできないんですか?
バック転ができない理由、説明できますか?
・練習したことがない
・体が硬い
・怖い
みたいな理由を思い浮かべませんでしたか?
これはできない理由のなかでも、直接「できなさ」を説明するものではないですよね。
柔軟体操をして練習すれば誰でもできるようになりますか?なりますよね?
じゃあ、トライしてみましょう。
ところで、センター試験とか、TOEFLとか、満点取れない理由は勉強が足りてないから、らしいですよ?なので、満点取れるまで頑張ってください。
って言われてがんばれますか?僕は無理です。そこまで頑張る理由もない。
話を戻しまして、そもそも「なぜできないのか」ということは本人にも、そして他人にも説明することができないことなんだ、と考えておく方がいいと思います。
だから「なぜできないの?」は聞くだけ無駄な質問なんですね。
そもそも、このような「手続き」に関する記憶は、専門的には「非宣言的記憶」における「手続き記憶」と言います。非宣言的記憶というのは言葉として説明できない記憶ということです。
皆さんの多くは自転車に乗ることができると思いますが、その「できる」「乗り方を知ってる」はずの自転車の乗り方を説明できますか?
できないんですよね。「サドルにまたがって、ペダルに足をおいて、左右交互に踏み込む」って説明を受けていきなり自転車に乗れるようになる人はいないと思うんですよね。
手続きというのは、言葉で説明したり教えたりできないんですよ。
でも、大人は子供に自転車の乗り方を教えるわけです。
僕らは誰かに見守られて自転車に乗れるようになったわけです。
よく考えてください。あれ、教わったんじゃないですからね。自分が何度も失敗するのを大怪我しないように見守ってくれたり、自転車の後ろを持って倒れないように手伝ってくれたり、がんばれ大丈夫きみならできるって励ましてくれたりしただけですからね。
でも、これが「手続き」を教えるのに必要なことなんじゃないかと思います。
ちなみに、これ、半分嘘です。
最近の親は昔みたいにそんな感じで自転車の乗り方を教えていないです。
なぜか?それはストライダーが登場したからですね。
最近の多くの子どもは、三輪車的な乗り物の次にストライダー(ペダルなし二輪車)に乗るんですよ。僕の時は補助輪付き自転車に乗っていましたが。ストライダーで遊んでいると、自然と「バランスをとって倒れないようにしながら二輪車に乗る」ことができるようになるんです。その状態で自転車にチャレンジするとものの1,2分くらいで自転車に乗れるようになります。少なくともうちの3人の子どもたちは、自転車に初めてまたがってから1分以内に自分で漕いで乗れるようになりました。
これは僕にとってかなり衝撃的でした。自分が自転車に乗る練習をしたときは、補助輪を片側だけにしたり、何度もこけたり、嫌な思いをたくさんしました。
僕は自分の子どもたちをみて、「ああ、手続きって、教え方にコツがあるんだな。そこのコツさえきっちりしていたら、誰もしんどい思いをせずにできるようになるんだな」って思ったんです。
ということで、「何でできないの?」って考えるよりも「どういうステップを体験させたらできるようになるかな?」ということを考える方が生産的ですよね、ということです。
滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平